しつこく速読本である。「ぼくは王さま」シリーズを彷彿とさせる安直デザインの王様が「〜じゃ」と言いながら速読術を解説してくれるというかたじけなくもありがたい構成が新味か。あとは基本的には今どきはだれでもどこかで目にしたことのある定番の速読メソッドである。速読法に限らずビジネス書、実用書などは同工異曲のパクリパクられ本の氾濫なわけであるが。
内容はわかりやすく、速読法に全く不案内で、本は一言一句まで律儀に読むものだと信じていて、そのために1冊ごとに大変な時間を取られ、結果、読書ってめんどくさいなあ、と思って本から離れがちな人にはいいかもしれない本ではある。
そのメソッドは定番の、
① プレビュー 5分
② 写真読み 5分
③ つまみ読み 20分
である。すなわち1冊30分というわけだ。
くどいようだが個人的に、写真読みと言われる、読まずに見開き全体を脳に写し込むように云々というのはおまじないのようなものだと考えている。脳科学的にどうこうと言う話もあるのだが、脳科学も胡散臭いなあと思っている。
続いて、ギネス記録保持者や資格ゲッターの手法が紹介される。これらは速読に続き、重要部分を繰り返し読み込んで覚えるというほどのものだ。
文章の種類に応じた速読法というのもあるのだが、それほど明快に分類できるわけでもないし、どこが重要か、どこを読むか、という勘所は結局場数を踏んでいくしかないのではないか。
重ねてくどいようだが、現実的な速読というのは結局割り切りである。本の真価なんぞ、始めから終いまで読んでやらなきゃ実際のところはわからない。それでもぱらぱら眺めて、こちらが勝手に重要だ、必要だとなんとなく感じたところだけを読んで、それで読んだことにしよう、という強引な割り切りだ。
それでも良書かどうか怪しいうちに熟読して僅かな本に時間を割くより、何冊もの類書を並べてつまみ食いしておけば知識の取りこぼしも、間違いも少なかろう、という戦略なのだ。
つまり、1冊1冊の読んでいないところも気になるなあ、といった迷いを振り払い、忘れるぐらい大量の本を「処理」することも、実は不可分の速読術の柱なのである。
で、速読を使って1週間で専門家になろう、という話があって、元NHKアナウンサーの鈴木健二がやっていたというのだが、網羅的な基本書、入門書にまず当たり、これは熟読して、さらに10冊ほど、いわゆる速読で処理するという学習法である。
専門家に話を聞く分には十分な知識が身につくと言えるかもしれない。これで専門家と言ってしまっては専門家の立つ瀬がないというものだが。
前回の都知事選の時、何をトチ狂ったのかジャーナリストの鳥越俊太郎が出馬したのだが、もっぱら国政の、安倍政権への抵抗が主目的で、そんなことに都知事選を利用しないでほしいものだが、対立候補から都政への無関心と不見識ぶりを突っ込まれて、1週間もあれば専門家になれるんだ、と啖呵を切っていた。多分この鈴木健二方式が頭にあったんだろうと思う。アナウンサーとかテレビジャーナリスト業界にはおなじみなのだろう。
残念ながらこのための僅かな時間を捻出することも叶わなかったようで、最後までド素人のままで大いに無能ぶりを晒して結果的に小池百合子への援護射撃をお見舞いし、彼の全盛期(がいつかは知らないが)に飛ばしまくり切りまくっていたスクープとやらも怪しくなる始末であった。
自称だか他称だか不明な知の巨人・立花隆の膨大な読書量、知識量も似たような方式で支えられている。流石に冊数はもっと多いようだが。本当に知の巨人ともいうべき賢人であれば知の巨人などというキャッチフレーズはご免こうむって削除させるのではないかなあ、とか、この手の速読法だと自分の”知”に自信のある人間ほど特定のパラダイムやイデオロギーを相対化するのが難しくなって、結局言っていることが十年一日状態になってしまうのだなあ、とか別の方向で納得してしまう部分もある。立花隆そんなに読んでるわけじゃないけれど。
ともあれ、視野拡大だの識服拡大だの、写真読みだのα波だのといった怪しい速読法もあるのだが、知識を学び、活用するという観点からすれば、効率よくつまみ食いできるようになれば充分なのである。仮にひと目で見開きの文章をすべて理解できるようになったとして、念写でアウトプットできるわけでもあるまいし。というわけで速読本はもういいや。